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名古屋電気鉄道500形電車(なごやでんきてつどう500がたでんしゃ)は、現在の名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである名古屋電気鉄道が、1912年(明治45年)に導入した木造4輪単車構造の電車である。 落成当初は特定の形式称号を持たず、168 - 205の記号番号が付されて168号形電車などと呼称されたが、1920年(大正9年)に500形の形式称号が付与され、車両番号(車番)も500番台に再編された。さらに名古屋電気鉄道から路線を継承して設立された旧・名古屋鉄道が社名を名岐鉄道と改称したのち、形式称号に4輪(4=シ)単車構造の電動車(デンドウシャ)を表す「デシ」の記号が付され、以降デシ500形と呼称された。 デシ500形(以下「本形式」)は他社譲渡や老朽廃車によって1938年(昭和13年)に一旦全廃となったが、東美鉄道(後の広見線・八百津線)に譲渡された車両が戦時統合により再び名鉄に籍を置くこととなり、それらの出戻り車両は名鉄籍への編入に際してモ45形(初代)の形式称号が付与された。 == 沿革 == 従来名古屋市の市街中心部に「市内線」と通称される併用軌道路線を敷設し運営した名古屋電気鉄道が、「郡部線」と呼称される専用軌道の郊外路線を開業させた際に導入されたものが本形式である。一宮線(押切町 - 西印田間)と犬山線(岩倉 - 犬山間)の開業に際して、1912年(明治45年)8月に38両が一挙に新製された。前述の通り、当初は168 - 205の車番が付与され、特定の形式区分を持たなかった。1915年(大正4年)には清洲線(現・名鉄名古屋本線の一部)の開業に際して1形電動貨車の台枠および主要機器を流用して206 - 208の3両が増備された。 1918年(大正7年)に4輪単車の車番を500番台、2軸ボギー車の車番を1500番台と区分する方針が策定されていたことに従って、500形501 - 541に改番された。なお、1920年(大正9年)6月に発生した那古野車庫の火災により504・506・521・527・541の5両が被災焼失し、廃車となった。 本形式は小型車体の4輪単車ゆえに増加する輸送量への対応が困難であったことから早期に余剰をきたし、502・537・538は東美鉄道に譲渡され、同社デ1 - デ3となる。同時期に1両(番号不明)が広瀬鉄道(後の一畑電気鉄道広瀬線)へ譲渡され同社デハ5となっている。1931年(昭和6年)には511・516・529が電気機関車に改造され、デキ50形になっている。 名古屋鉄道に残存した本形式は1938年(昭和13年)に一旦全廃となるが、1943年(昭和18年)に戦時統合により東美鉄道が名鉄に吸収合併されると、前述デ1 - デ3も名鉄籍に再び復帰することとなった。合併に際してはモ45形(初代)45 - 47と改称・改番されている。 その後、1943年(昭和18年)にモ47が日本油脂武豊工場の専用鉄道に譲渡された。残るモ45, 46は1949年(昭和24年)に熊本電気鉄道に譲渡された。熊本電鉄ではモハ15・モハ16となったが、使用開始から間もない1949年(昭和24年)3月1日に荒尾市営電気鉄道が開業する際、同鉄道に譲渡された。荒尾市では15・16の番号のまま使用開始されたが、1951年(昭和26年)に電車2両が新規導入されたことにより廃車となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名古屋電気鉄道500形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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